ヨガ哲学:身の回りの事やニュースなどから、いろいろ思うところ

「ヨガって宗教なんですか?!」

「ヨガって宗教なんですか?!」
そう聞かれた事があります。
ヨガのルーツは、古代インド。紀元前何千年も前にさかのぼります。
ヨガの聖典(ベーダ聖典など)・叙事詩(バガヴァッド・ギーターなど)があり、 そして、様々なインドの神様が出てきます。
この人がどういうつもりで「ヨガは宗教なの?」と聞いたのかは分からないのですが… 逆に聞きたいのですが、宗教だったら、だからどうなのでしょう?
フィットネスジムやホットヨガは全く「いわゆる」宗教色がなく、 バガヴァッド・ギーターに書かれているような哲学的な話を少しでもしようものなら、 「そういう話はちょっと…」とオーナーさんに敬遠されてしまうのが事実です。
それはフィットネスジムなどの営業方針なので、別にだからダメと言っているわけではないです。
ただ、そこには壮大なヨガのストーリーの、たった「ひとかけら」しか存在しないのです。
宗教というと、
多くの人の嫌がる部分としては、ほぼ詐欺のような状態でお金をだまし取られたり、 ○○を信じていれば極楽に行けるとかご先祖がどうだ呪われるだ、いかがわしいことばかりをつらつら述べて、 信者とお金を獲得するためだけに活動をしているようなところだったり、 「私は神の声が聞ける」などと言って信者たちにウソを言ったり悪いことをしたりする 結局、弱いものが何かに「すがる」ものを宗教とされているようです。
それが、非常に残念です。
そして、残念ながら、ヨガも新興宗教の活動材料として、悪しきことに使われた事件がありました。
また、ヨガの哲学を間違った方向でとらえ、または「悟りをひらく事だけを目標」として、 ヨガの本質とは違った方向に進んでしまう人たちもいるそうです。
ヨガとは…
古代の聖人が生み出した、生活の知恵と哲学。
現在の人々は本来の姿からすっかり離れてしまったけれど、「本質」を私たちに教えてくれる すばらしいツール。
そして、心を静かに、穏やかにするための鍛錬。
などなど。
神社や寺院に行って、お参りしますよね? それと似たような意識でヨガをするのです。
ただ、いつも「神様、お願いします」と言っていたのをやめて、
「神様、いつもありがとうございます。私はこうしようと思います」
のように「すがる」「頼る」から「感謝する」「決意する」方向へチェンジすることだと思うのです。
きちんと「ヨガ」をするなら、ヨガ哲学は避けて通れない道。
表面ばっかしの、薄っぺらい、目に見えてる体の表面。
目には見えないけれど、体を切って開けてみたら見える、解剖学的な筋肉や骨。
そこばっかりにフォーカスしてたら、それはヨガの一部しか見てないことになっちゃう。
ヨガの師に言われたことが一つあります。
読んで従うべき本は、バガヴァッド・ギーターなどの聖典。
巷にあふれている雑誌には、正しいことも書いてあるかもしれないけれど、 そうじゃないものも多い。
だから、読む本を選んでください、って。
ヨガとは、とても壮大な話。
よどみなく人に解説できるようになるのは、いつのことやら。
だけど、「木を見て森を見ず」にはならないように、 きちんと「森も見ながら」木も見ていくようにしていきたいですね。

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